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人はいつ大人になるの?タイミングや条件を徹底検証!

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何気なく日常を過ごしているなかで、「知らないうちに自分も大人になってしまった……」という思いに囚われたことのある方は多いのではないでしょうか。人間関係において打算的なコミュニケーションが増えたり、趣味関心を追求できる時間がなくなったりと、大人になったことを実感する局面は数多く存在しています。

けれども実際のところ、人はどの段階で大人になるのでしょうか。繰り返す毎日のなかで、明確に「ここ」というポイントを見出すのは難しいことと思います。

あるいは、モラトリアム期の大学生や、かの名探偵のように、「その人の一部は子どもだけれども、大人の部分もある」といった曖昧な状態も存在するでしょう。

この記事では、人が大人になるタイミングや条件を考察し、「何がどうなれば大人になったといえるのか」を検証していきます。

大人であることの条件

発達心理学の観点から、大人であることの条件を具体的に考えていきましょう。私たちはどのような課題をクリアすれば、大人として認められるのでしょうか。

カボチャを切る際に指を切る危険性がないこと

スイスの心理学者であるピアジェは、子どもの空間認知能力の発達を調べる方法として、「三つ山課題」(the three-mountains task)というものを考案しました。形状の異なる山の立体模型を三つ用意し、子どもに特定の位置からそれを見せながら、「違う場所からはどう見えるか」ということを尋ねます。

ピアジェによれば、4~5歳までは「どの位置に関しても、自分から見える形状」を答え、7~9歳になると「異なる形状になる可能性」に気づきはじめ、9~10歳ごろからは「それぞれの位置から見える形状」を想定できるようになる、といいます。

空間認知の観点からいえば、成長することは「異なる視点の獲得」を意味しており、大人であれば複雑な形状に関しても、多角的な視点からの形状をイメージすることができるはずです。

こうした観点から「大人である条件」を具体化してみると、やはり「カボチャを切るときに指を切らないこと」となるのが自然でしょう。カボチャはとても硬いので、切る際に大いに力む必要があり、ともすれば理性を失ってしまう可能性もあります。そのような状況においても、自分から見える視点だけではなく、「カボチャの裏側に指がいっていないか」を想定し、危なげなく切ることができる人を、私たちは大人と呼ぶのでしょう。

ストレッチパワーを特定の部位に感じないこと

エリクソンは、青年期の発達課題として「アイデンティティの確立」を挙げました。自分自身を他者とは異なる存在として認識し、その自己のありようを受け入れることが「青年」から「大人」になるうえでの条件だ、というわけです。

これを「自己と他者の境界」という観点から見ると、ストレッチマンの呼びかけに惑わされ、「ストレッチパワーが溜まってきた気がするなぁ」と感じてしまうのはやはり自他の区分が明確ではない証拠と言えそうです。

「ストレッチパワーがここに溜まってきただろう」という暗示的な問いかけに対し、「いや、そうでもないな」「そもそもストレッチパワーって何だよ」と冷静な構えを崩さないことが、大人であることの一条件なのだと考えられます。

大人としてやってはいけないこと

子どもの頃には許されていても、大人の行動としては認められない事柄は数多く存在しています。そのなかでもとくに気をつけたいポイントを押さえておきましょう。

人の心臓を無断で持ち出さない

いくら相手がシャバの肉をつかめることに喜びを見出す“解体屋”であっても、他人の心臓を無断で持ち出すことは大人として許されません。また、せっかく手をナイフのように変形させる能力があるのですから、大人としては日常的な場面にも活用していきたいところです。

神の死を声高に叫ばない

人生にはつらいこともたくさんあるため、神に見放されてしまったように思える瞬間もあるものです。しかし、いたずらに神の死を吹聴してまわるのは止めた方がよいでしょう。神が有価証券にかかわる存在であれば、風説の流布の罪に問われる可能性があります。

神の存在が有価証券の相場変動に影響があるかどうかは難しい問題ですが、人間の総体としての経済行動を最適化するのは見えざる手ですから、神と有価証券とにはやはり何らかの関係があると考えられるでしょう。

まとめ

いかがでしたでしょうか?「大人になる」というとなんだか抽象的で、自分が大人なのかどうか不安に思う方も多いと思いますが、大人であるための条件を一つひとつ満たしていくことで、立派な大人として胸を張れるようになる日が来ることでしょう。

今回挙げた条件を満たせていない方は、残念ながら世間から大人として認められることはないでしょう。とくにストレッチパワーの蓄積を感じてしまう方は、早急な対処が必要です。アイデンティティが確立されていなければ、その後の発達段階にも影響を及ぼし、最終的には孤独と絶望のなか老年期を過ごすことになってしまいます。円満な老後のためにも、ストレッチパワーとは早めに縁を切っておくことをおすすめします。

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